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KIZUNA VIETNAM 2013 (English)

KIZUNA VIETNAM 2013は、私の忘れられない思い出です。...このプロジェクトは、2011年3月11日(3.11災害)に起こった日本の大地震と津波災害に関して理解を深め、人々の連帯を強めるための、ベトナム人学生のプロジェクトです。



このプログラムに参加するにあたり、ドアン・ティ・トゥ・ホア先生(ハイフォン私立大学 日本語の先生)にご協力いただき、心から感謝いたします。

VIETNAM 2013 (Group C)の基本情報:
_時間:201333日から2013313日まで
_参加者:学生28名、教師2名、コーディネータ2
_場所:東京、岩手、一関、大船渡、陸前高田、釜石、目黒、お台場
_宿泊場所:晴海グランドホテル, Router-in Ichinoseki Inter, Aeria Tono, Higashinihon Morioka, Zuisenkaku。
_交通手段:飛行機、バス、新幹線。

日本の私の第一印象は、書籍、テレビ、新聞の情報、...そしてドラえもん、ドラゴンボール、翼などの不滅の漫画本からつくられました...日本は資源が少なく、地震が頻繁に起こる島国だと思っていました...しかし、ここに住んでいる人々は、世界中で有名だった"日本の奇跡"を作るのに十分な規律正しさ、勤勉さ、知識を持ち備えています。現時点で、日本は世界でも有数の国の一つです...そして、絆プログラムは、私が今まで日本について知っていたことが正しいかどうか体験するための機会です。

インターネットから

日本での花見の日
インターネットから


グループ内の他の多くの学生と同じように、私は、これは貴重な旅(日本ではすべてが非常に高価であるので、お金持ちであっても、このような国家プロジェクトに参加する機会が得られない場合があります)だと思いました...私自身はとても興奮しており、数々の素晴らしいことが私を待っていると想像していました...しかし、慎重にこのプロジェクトのスケジュールと目的を読んだ後、私たちが行く場所は3.11災害によって被害を受けた場所であると知りました。...10日での経験を通し、私たちはこのプロジェクトの重要性を認識しました。この旅行は、通常の旅行とは違い、リラックスのためではありません...このプロジェクトのすべての参加者は責任と使命を持っています。

インターネットから

私たち参加者全員、”3.11災害と呼ばれるようになった、2011311日(2年前)の日本の地震と津波災害について知っていました...現代の情報技術のおかげで、世界のどこでも、私たちは荒廃がとてもひどいことを見ることができ、自然災害の力は、日本人の富、道路、インフラへ多くのダメージをもたらしました。

 
2011年の致命的な地震の統
The CATDAT Damaging Earthquakes Databaseから


 3.11災害は原子力発電所から恐ろしい脅威を引き起こし
インターネットから

最もひどく被害を受けた地域
インターネットから


しかし、物事はそこで止まりませんでした。3.11の恐ろしい災害の後、日本人を苦しめたのは、復興活動だけでなく、ニュースのデマや噂、国際社会の大多数の根拠のない情報でした。。。

  
2012310日(3.11災害後1年)のダメージ統
インターネットから


全体的に、新聞、ラジオ、インターネット、家族、親戚、友人による情報から...日本は現在、放射能を漏出させており、汚染された水、空気、土壌汚染のある、危険な国となりました...そしてすべての循環の中で、おそらく今後5-10年の間に、3.11と同じような、またはさらに大きい災害が起こる余地もあります。...このような理由から、非常に多くの人々が日本について話すとき、非常に恐ろしい事が起こっていると想像し、そこに行こうと思うことはありません...また、人々は多くの人にこのような考えを共有しているのです。

津波が町を襲う(町に流れ込んでいく)場面
インターネットから


絆プロジェクトの参加者は、正確な被害状況、安全性のレベルや日本の復興への取り組みについて詳細な情報を見つけるために、3.11災害の被災者の方に話を聞くために、そして直接自然災害を防ぐ方法を勉強する(私たちは、消防経験をし、地震発生時に安全性を保ち、様々な地形から脱出する方法を学んだ...)ため、被災地を訪れました。私たちは根拠のない噂をなくすために、実際の経験を伝える責任をもちました。自然災害や復興作業と同様の共有体験を通して、世界との繋がりを強化していきます


災害前後のシー 
Google Mapから


この旅行では、私たちはもし2年前に撮影された写真を見れば、想像できないような多くの場所に行きました。

これは岩手県で有名な観光地である、驚くほど真っ白な砂浜に並んだ松の木であり、全部で70,000本の木がありました
インターネットから


二年前の恐ろしい津波の後、1本の木を残してすべてが流されました...これは "奇跡の1本松"といわれ、強さ、活力、3.11災害の復興のシンボルとなっています

奇跡の1本松は、現在[3.11災害]における、日本の歴史的建造物です。
撮影:チャン。コック。タン

 これは、生き残った被災者による講話です
 撮影:チャン。コック。タン

 撮影: ラ。クアン。テエン


我々は、さいとう製菓株式会社のディレクターに会いました。彼が災害時にどのようにして生き残ったのかに関して、また、震災後の会社の損失や復興に関して話を聞きました...
以下が、私たちがさいとう製菓株式会社から学んだ経験です。

災害後にわかったこと: 
*文化的発展の真の価値 
*この無常の世の素晴らしさ 
*災害は起こる地域を選ばないということ 
_さいとう製菓株式会社_


次に私たちは周囲の地形上で仮定の津波警報のための実行練習を行いました。津波が本当に来れば、どれくらいの確率で生き残るでしょうか。津波警報の後、私たちは丘を駆け上がって、叫びました "津波、津波、走って、みんな、走って"。

あまりにも疲れて、息をするのに5分かかりました。そして私たちは一緒に丘を歩いておりました
 撮影: ラ。クアン。テエン

その後、私たちはこの地域のモニュメントの一つである時計塔を訪れました。
 
時計塔は津波の被害を受けています。もう動いていません
 撮影:チャン。コック。タン

時計を見ると、私たちは2年前の、津波が襲った恐ろしい瞬間は正確に何時何分なのかを知ることができます...津波がこの地域を襲ったのは、03:25でした。
撮影: ラ。クアン。テエン

毎日、私たちは被災地を訪れました...以前はとても賑やかでしたが、現在は、空っぽの土地のように完全に破壊されてしまっている町がありました。復興作業は進行中です。日本人は彼らの最愛の祖国を回復するために最善を尽くしています


 これらの労働者は疲れを知らずに街灯を再構築しています。
 撮影: ラ。クアン。テエン

すべてが再構築中であり、乱雑です。
 撮影: ラ。クアン。テエン


これは、学級のすべての生徒が災害を防止するためによく訓練されていた学校です。津波が襲ったとき、すべての学生はすぐに屋上避難所に登り、誰も負傷しませんでした。 
撮影: ラ。クアン。テエン

私たちは北上川学習交流館あいぽーとへ行きました
 撮影:チャン。コック。タン

この地域の洪水防止システムで講演を聞きました。
 撮影: ラ。クアン。テエン

私が指しているのは、洪水を防ぐために用意された3つの巨大なダムの一つです
 撮影:チャン。コック。タン

昔から、日本人は多くの災害に直面しなければならなかったので、災害のために非常に慎重にあらゆるものを準備しています。
撮影: ラ。クアン。テエン

また、私たちは、3.11の災害によって4歳の女の子が亡くなった家を訪問しました。彼女の遺品である絵や、おもちゃが保管されています
撮影: ラ。クアン。テエン

災害防止の訓練センターでは、防災に関する多くの有用なことを学びました。マグニチュード7の地震を体験し、電気による火災や停電の場合の脱出方法、消火活動、災害発生時の対処法を練習します。地震発生時にエレベーターにいた場合、どのように対応するべきか。。。
撮影: ラ。クアン。テエン

防災訓練センターでの写真
撮影:他のコーディネータ

これらの活動を通じて、私は、自分自身で震災後の日本の安全性を確認しなければなりません。上述したように、3.11災害後についての最大の関心事は、放射能の漏出の度合いや、それが水、空気、食品に影響を与えたかどうかです私たちは慎重に収集した物質を研究し、​​そして確認しました:

_食品や水の放射能量について:販売される全食品は放射線レベルをチェックし、安全確認が行われます。全く問題のない水は、適切に使用することができます


_空気中の放射能の量について:事故の後、日本政府と地方自治体が継続的に地域や空気中に放出された放射能の量の放射能を測定しています。北京、東京、ソウル、シンガポール、ニューヨークの場合と比較した場合、最新の数字によると、日本では空気中の放射能量は、高くはありません...そして主な都市、アジア·オセアニア、北米は非常に低いです。被災地として宮城県や岩手県の指数を使用すると、他の国の都市部に比べて低くなっています


参照画像:標準放射線環境(政府観光局日本からのデータ - JNTO)
http://www.jnto.go.jp/eq/eng/04_recovery.htm

 日本政府はまた、原子力発電所、ウェブサイト上の放射能量に関する情報を提供します。正しい情報を知るために、次のWebサイトを参照してください
厚生労働省の_省:http://www.mhlw.go.jp/english/topics/2011eq/index.html  
_
原子力安全機関:http://www.nisa.meti.go.jp/english/index.html  
_
大使館:http://www.mofa.go.jp/j_info/visit/incidents/index.html


私たちは、3.11災害の知識や被害について学びました。
 撮影:チャン。コック。タン


さらに、私たちは、復興プログラムをサポートするために、工芸品作りに参加し、私たちのチームは、サクラ(桜)の折り方を学びました。それぞれの花に願いを書きました。。。
 撮影: ラ。クアン。テエン


最後に、私たちは花を大きな段ボールに貼り付け、装飾しました。
 撮影: ラ。クアン。テエン


撮影:他のコーディネータ 
 
被害者救済のボランティアセンターにお土産を贈りました。
 撮影:チャン。コック。タン

帰国後の行動計画を話し合います。
撮影:チャン。コック。タン


私たちの計画を報告した日。
撮影:チャン。コック。タン


これは私たちの計画の概要である。
  
私たちはこれに焦点を当て、さらに、いくつかの会議を開き、宣伝のポスターを作成しました。。。


多くの人にこのプロジェクトに関係してもらえるように、私たちは3つの言語でこのファンページを確立します。グループの作品について、私は、2000枚以上の写真、グループのメンバーのドキュメンテーションの数々、日本について、世界中の人々のために共有するための多くの物語を持っています。


私たちは、この問題に関心を持つ世界の誰かを探しています

次に、グループCは、大使館、日本の学生組合代表、ベトナムと日本政府のメンバー含むスタッフと一緒に記念写真を撮影しました。

 KIZUNA VIỆT NAM – Group C
撮影:他のコーディネータ 

報告の他の日、私たちのグループは、"私の祖国"というベトナムの帽子の踊りを披露しました。
撮影:チャン。コック。タン


3つのグループ全体の写真(ABCグループ)
撮影:他のコーディネータ 

311日、私たちは浅草の浅草寺を訪れ、2年前に3.11災害が発生した瞬間を待っていました、私たちは、不幸な犠牲者のために、そして日本の人々へ明るい未来を約束するために一緒に祈りました。願わくは、悲痛な悲劇が二度と起こらないように。。。
撮影:Ms. Van


日本のために祈りましょう。
インターネットから


現在、私たちは、ベトナムに戻ってきました。一人一人が日常生活に適応していますが、私たちはこのプロジェクトを伝えていくことに努め、世界中の人々に、根拠のない噂に反し、日本で実際に何が起こっているのかについて、復興活動について理解してもらいたいです。

インターネットから


私たちが直接経験したこと、記録したことが、震災後2年経過した日本についての最も明確な証拠となってほしいと思います。皆さんに、これらについてよく考えてほしいと思います。根拠のない噂が人々を誤解させている状況を悪化させてはいけません。私たちは、皆さんが実際に日本に行って、直接3.11災害の影響を受けた場所を訪れることをお勧めします。そうすれば私たちが言っていることが本当だったとわかるでしょう。また、私たちの活動から学んだことを、家族や親戚、友人に共有してください...できるだけ多くの人々に。。。心からありがとうございます。


皆様のご協力に感謝します!
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私は、日本人の偉大な復興活動、変化を見るために、できるだけ早くまた日本に戻りたいと思っています。人は色々な事を経験することで成長するものだと思います。何が起こったのかにも関わらず、太陽はまたあした昇ぼるでしょう。

最後に私たちは日本人に多くの良いことがあるように祈り、いつもあなたがたのそばにいます

YEOUNGの
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 LA QUANG TIEN
ラ。クアン。テエン

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